こんにちは、みそら広報部です。
「人は、忘れたられたときにこそ本当の死を迎える」
突然ですが、こんな言葉を耳にしたことはありませんか?
私は学生の頃、確か道徳の授業の中でこの言葉を耳にしたと記憶しています。
そもそも、人にとっての価値観は様々です。
例えば、
「鼓動を止めた瞬間」
「生きる目的を忘れたとき」
「誰からも必要とされないと感じたとき」
このように、一概に「死」と言っても、どんな状態を「死」と捉えるかには本当に大きな差があるのではないでしょうか?
そして冒頭にお話しした「人は、忘れたられたときにこそ本当の死を迎える」という考え方。
私はこの言葉を聞いたとき、なんて哲学的なんだろうと感じはしたものの、その意味について深く考えるには至りませんでした。
しかし今朝の通勤途中、ふとこの言葉を思い出したのです。
死を悼まれなくなり、名前を忘れられ、そしていつか誰からも思い出されなくなる。
私がこうして毎日必死に生きていることも、いつかは忘れ去られてしまう。
どんなことを考え、どんな所に住み、何が好きで、大切にしていることはなんのか?
私のことを知る人がこの世の中にいなくなったら、私は本当にこの世界のどこにもいなくなってしまうのか。
そう思ったら急に、途方もなく寂しい気持ち襲われました。
しかし同時にこんな言葉も思い出しました。
「亡くなった人のことをこの世の誰かが思いだすと、天国でその人の周りに綺麗な花が降るんだよ。」
こちらは社会人になり、祖母が亡くなって悲しみに暮れているときにSNS内で偶々拝見した言葉です。
綺麗に舞い散る花を見て祖母は喜んでくれるだろうか?
そうだったらいいな。と涙ながらに感じたことを今でも鮮明に覚えています。
今思えば、これは生きている人間の「そうであってほしい」という願望から生まれた都合のいい考え方なのかもしれません。
しかし今でこそ、こうして「亡くなった大切な人を思い出す行為自体が本当の供養なのではないか」と感じるようになりました。
私は、株式会社みそらに入社してから、「供養」という言葉に幾度となく触れてきました。
冒頭にお話しした「死の考え方」同様、「供養」にも様々な形、考え方があります。
私たちのご提案させて頂いている
「家系図作成」「ルーツ調査」「ファミリーヒストリー」も1つの供養の形です。
そして、墓じまいが進む中で新たに考案させて頂いた「家系図参り」もまた、同様に新たな供養の形といえましょう。
そして私自身、多くの方の家系図や物語に触れる中で、
「どんな形であれ、”亡くなった人のことを思い出すこと”自体が大切な供養となる」と考えるようになりました。
しかし、当たり前のことですが、ご先祖様とは会ったことも話したこともありません。
自分の家族や友人のように生前に親交のある場合と違い、身近に感じにくいということもあるでしょう。
「家に資料がなくご先祖様のことを知る術がない。」
そんな方が大半だと思います。
しかし、そんな方にこそおすすめしたいのが「戸籍調査」です。
戸籍調査をすると、本当に沢山の「ご先祖様のお名前」が分かります。
私も入社してみて初めて自分の家の戸籍を取得しましたが、
戸籍に明記されているご先祖様の数が想像以上で大変驚きました。
またそれと同時に
「このお名前のある一人ひとりの方それぞれに人生のドラマがあったんだな。」
「どうやったらもっと詳しく知ることができるだろう。」
と、無性に興味が湧き、自身でルーツ調査を始めています。
例えお顔や性格までは分からなくとも、お名前が分かるだけでも「ご先祖様とのつながり」を目に見えて知ることができます。
そこから、私のように新たな興味関心が湧きおこる方もいらっしゃるかもしれません。
戸籍の字古く判読が難しい際には、是非弊社開催の「家系図作成講座」等にご参加下さい。
専門のスタッフが、大切なお名前を知るためのサポートをさせて頂きます。
お客様にとっての「供養」とは何なのか?
命つながる家系図では、これからも皆様と一緒に考え続けていきたいと思います。
「ご先祖様のお名前を記憶を、大切な命のつながりを未来へ」
お困りの際はぜひ弊社にご連絡頂ければ幸いです。
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