大蒲町
閑静な住宅街が広がる大蒲町。町の南東部に位置する大蒲公園は、住民の憩いの場として親しまれています。
以前の大蒲町は、どんな町だったのでしょうか?
大蒲公園
町の由来
町名に「蒲」という名前が含まれており、植物を連想させます。その名前の通り、大昔の大蒲町は蒲草の生い茂る湿地帯でした。
時代が下った平安時代の初期。藤原鎌足の子孫である蒲氏が蒲町一帯を開発しました。その開発地を伊勢神宮に寄進したほか、伊勢神宮の分霊を祀るために神明宮を建立。蒲氏は神官としてこの大蒲町に住んだと言われ、大蒲町を含む蒲地区一帯は政治・経済の中心地として発展していきました。
地元の人々は、大蒲町一帯の発展に寄与した蒲氏に敬意を示すため、「蒲」の上に「大」の一字をつけて地名としたと言われています。
大蒲町の歴史
大蒲町の北部エリアは、東海道の主要道に面しており、この地域一帯は「蒲畷(かんまなわて)」と言われていました。江戸と当時の首都であった京を結ぶ主要道で、武士、商人、百姓など多くの人々が行き来していました。蒲畷では、旅人をターゲットとする茶屋が多数立ち並んでおり、幕末には「六軒京のしそ巻き」が売り出され、名物品として多くの旅人に親しまれました。
大蒲町の昔話
雨乞い池
大蒲町が幾つもの村に分かれていた時代のお話です。町内のある村では、田畑の作物が長期の日照りの影響で枯れてしまい、頭を悩ませていました。こうした中、人々は近所の光善寺の和尚に相談。雨乞いの祈祷に加え、あるお願いをしました。それは、境内の池をくみ取ることです。
弁天池と呼ばれる池の中央部には、水を司る神・弁天様が祀られていました。この弁天池は、いつも水が存在し、池の水が半分になると雨雲が俄かに発生して、池は元通りになるという伝承がありました。
人々はその伝承を信じ、村人総出で池の水を汲みだしました。池の水が残りわずかになり、人々が一息ついていると、突如曇り空になり、ついには雨が降り出しました。この話は、他の村へと伝わり、「雨ごい池」と呼ばれ長年親しまれました。
まとめ
現在の大蒲町は、マンションや住宅など閑静な住宅街です。そんな大蒲町も昔は一面に蒲が広がっていたと考えると、なんだか不思議な感じがします。ルーツを辿るって面白いですね。今後も引き続き、各町の由来を紹介できればと思います。(木村)
弊社では、家系図作成に加えてお客様のルーツ調査やファミリーヒストリーに力を入れております。
ご依頼者のルーツ調査を通じて、地域の歴史を学ばせて頂いております。
あなたもルーツ調査をはじめてみませんか??
===================================
今と先祖をつなぐ家系図
命つながる家系図
静岡県浜松市東区篠ケ瀬町1324
053‐545-9172
090-4711-3486 (塩崎)
===================================
【参照】『わがまち文化誌 浜松中心街の今昔』浜松市立中部公民館編
コメントをお書きください